ここ10年の課題:〈 本が読めない 〉
from 2023/12/27
ここ10年の課題:〈本が読めない〉久住哲.icon
本の内容を理解できない
よくあるcFQ2f7LRuLYP.icon基素.icon
本を読んでも内容を覚えられない
仮にこれが脳の問題だとすれば、そんな自分でも……な方法があるのではないか
「……」の中身が言語化できない
これもしょっちゅうあるcFQ2f7LRuLYP.icon
自分の場合は中で話されている話をそらで再現できない
そんなあなたにアクティブ読書!yosider.icon
来年やってみる予定久住哲.icon
わからなくてもとりあえずこれで整理を試みる基素.icon
本の内容を説明・紹介できない
読み方を間違えている?
根本的に他人とは違うことをしている可能性がある
そもそも本を読んで内容を理解するという事柄が何なのか分かっていない
ひとつ言えそうなのは、本のある箇所を読んで「ここでこういうこと書かれるのは分かるわ」と思うとき、……これは本の展開が期待通りだということ
本を読むことは、著者がこういうことを書くだろうと期待する、その期待の仕方を知っていくことだと言えるかもしれない
そもそも何が書かれているか分からない、といった場合と、言語は読めるが意味が分からない、といった場合がある
例えば、久住哲.iconはロシア語で書かれた文章を前にしても、そこから何も読み取ることができない
あるいは、読書ではないもので譬えるなら、マイクラのネザーでピグリンが目の前に3体いるのにチェストを開こうとする人を想像してみてもいい
本を読むことは、他の人の話を聞くことのバリエーションの1つだと思う
そして他の人の話を聞くことは、知覚的な観察から事態や状況を察知することのバリエーションの1つだと思う
そうだとすると、読み手は書き手から語りかけられつづけているという状況である
とすると、その状況において、読み手には適切な対応(会話の場合は、適切な相槌や適切な返答や適切な質問)が求められているのだと考えられる
しかし、本を読むとき、人は本に対して自分から話しかけることは稀だし、仮に読者が本に語りかけても、本からの返事はありえない
すなわち、読み手は適切な対応を求められつづけながらも対応不可能な状態に置かれつづけているということになる
いや、対応(具体的には返答など)は全く求められていないんだ!と言う人が沢山いるだろう。すなわち、本を読む人は、ただ本の内容を読み取るだけでいいのであって、自分からその内容に関して何らかのアクションをとる必要は全くないのだ……と。
いわば、本を、敵兵が潜んでいる可能性のあるジャングルを探索することに譬えるといい。読み手は、その地形や痕跡を観察し、ありうるリスクを考慮することに集中すればいい。
だが、ジャングルの場合は、敵兵がいないことを確認できる。そして、この確認行為は、適切であるだとか不適切だとかの評価が下されうる。一方、読書の場合は、どうなのか。
観察と行為が密接に結びついている場合とは異なり、ある種の読書では、観察と行為との繋がりが見えないこともある
すなわち、じっくり状況を観察したところで、だから何なのか、ではどうすればいいのか、それが分からない、といったことがある
難しい本を読んでいるsta.icon
難しい本は読めなくて当たり前という気もする
「難しい本」の定義はおいておきますが……
「基礎知識が足らない本」でどうだろうtakker.icon
知らない単語だらけの文章は読めない
たしかに久住哲.icon
新書とかでも頭に残らない久住哲.icon
だから読書メモをとる久住哲.icon
+1sta.icon
何か社会に新しい知見をもたらした人がその知見について語ろうとしたとき、その知見って人類の知見の端にあるので誰もが持ってる常識からそこまでたどり着く道のりは長くて、基本的に一冊の本で語れないのではないかnishio.icon
一冊の本から芋づる式に関連書籍・文献リストが出てくるcFQ2f7LRuLYP.icon
そう、一冊の本で道を完成させられないので参考文献を示すnishio.icon
ここは著者によってスタンスが違うところ
A: スタートからゴールに向けて読者がついて来れる速度で進み、ゴールには辿りつかない、でも近づいたからいいよね、遠くから眺めようねパターン
B: ゴールにたどり着いた自分がゴール付近の描写をするべきだと考えていて、詳細に記述するけど、たどり着く道に関しては最小限の記述や参考文献を示すことで済ませるパターン
C: ついてこれない読者がいることを半ば承知で、スタートからゴールまで走る、何人かついてこれたらそれで十分価値があるよねパターン
from 2023/12/27
ここ10年の課題:〈 本が読めない 〉
読書するにしても腕前には差があると思っていて、(勝手ながら)自分よりも腕前が高いと思っていた久住哲.iconさんの課題を知り、驚いているcFQ2f7LRuLYP.icon
cFQ2f7LRuLYP.iconの本の読めなさと久住哲.iconさんのそれとは何やら大きな差があると感じている
ベルクソンの読書会にお邪魔した際に感じた
これの場合、久住哲.iconが教授(よく知っている人)のベルクソン演習に参加していたからだろう久住哲.icon
知識に差があったことが明らかになり申したcFQ2f7LRuLYP.icon
何やらが何なのかはまだ言葉になっていない
from 2023/12/27
ここ10年の課題:〈 本が読めない 〉
読書は理解できなくてもいいじゃない、、という気持ちで読んでいるかもinajob.icon
読書感想文 に少し書いていた
ダニング・クルーガー効果が読書でもあるのかも、、と思った
読書完全に理解した、からの読書なにもわからない、読書チョットデキル
from 2023/12/27
ここ10年の課題:〈 本が読めない 〉
読書は僕にとっても長年の未解決課題nishio.icon
しかも2023年のChatGPTの進化によりしかし、本を読むとき、人は本に対して自分から話しかけることは稀だし、仮に読者が本に語りかけても、本からの返事はありえないという構図が「かつてはそうであった」と言われるレガシーなものへと変化しつつある
今後数年でだんだん形をなしてくる、新しい「知識伝達方法」が、どのようなものになっていくのか
読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。
ショーペンハウアー
/nishio/読書について
解説ブログへのリンク切れてるなー
一方通行のインプットばかりが続くタイプの「読書」は技術が発展していなかった数百年の間だけのものになるのかもしれない
久住哲.icon
「どうせ本を読むならその本の内容を正確に理解したいものだ」という形での自己の願望の定式化は、久住哲.iconを迷わせることになる
それは久住哲.iconの目的と手段を取り違えさせる
久住哲.iconの場合、読書は、それを通じて自分の「考え方」……つまりは言葉や概念の用い方であり言語的実践のやり方である……を変容させようとするために行うことが多い。より正確には、それの可能なバリエーションを習得するために行うことが多い
だからよく著者の真似をする
この振る舞いのバリエーション習得という大目的のために、〈本に何が書いてあるのかの理解〉という中目的がある。
本の内容を正確に理解することは、どちらかといえば、目的ではなく手段である
大目的も〈知ること〉の一種ではあるのだが、そこで知られるべき対象は情報ではなく、むしろ振る舞い方である
久住哲.iconが知りたいのは、〈どうすればいいのか〉と〈どうしたらダメなのか〉である
この観点をもって、「本の内容を理解できない」がどういう意味なのかを反省してみると
習得するべき振る舞い方が見えてこないことを「理解できない」と言語化している のかも
「何のためにこんなことを書いているのか分からない」
著者が実践している振る舞いが読み取れない
「何が書いてあるのか分からない」「何をしているのか分からない」
例えば著者の抱いた問題意識みたいなものは、あることを思考する際の手がかりであるが、
「途中からついていけなくなった」という比喩が、読書にも使われることがある。この比喩は何を言っているか。
著者が提示している(であろう)道標を、読者である私が見失い、迷子となって茫然自失としているような状況を思ったcFQ2f7LRuLYP.icon
中学1年生のときには、小説を読んだり歌を聴いたりしても、性愛的な含みを持った表現をそれとして認知できなかったことが多々あった
「大人になって良さが分かる」みたいなことには、こういうことも含まれるだろう久住哲.icon
恋人を失って失恋の歌の味が分かるようになる、身近な人を亡くして哀傷歌が身にしみて感じられるcFQ2f7LRuLYP.icon
パロディやスラングを理解できず、それを文字通りに受け取ってしまう、といったことがある。この場合、文字通りに受け取った人は、場が期待する振る舞いができない。
ここでの振る舞いに前提把握や敷衍なども含めれば、同じことは読書にも言える。すなわち、著者が期待した「振る舞い」を読者ができない……という場合がある